【2025年 5月 4日 主日礼拝説教より】
説教「伝道の始まり、その陰で」 詩編 第121篇 7節-8節 使徒言行録 第4章 1節-22節
本日の礼拝は、わたしたちの仙台東一番丁教会が、教会創立144年を迎えることを覚えての特別な礼拝です。わたしたちの教会が、いわば誕生日を迎えた、そう考えてよいと思います。誕生日は、その記念の日を迎えたことを喜ぶだけではなく、そこまで刻まれた神の恵みを思い起こすときであると思います。先週行われた定期教会総会で、6年後に控えた教会創立150年を見据えながら、いくつかの事業の中で、150年史の編纂をなし、そのために献金を献げていくことが決議されました。まさしく、この教会において示された神の恵みを整理して、目に見える形で表そうとするものです。 この教会の始まりに、どのようなことが起こったのでしょうか。1880年10月10日に押川方義と吉田亀太郎が仙台で伝道を始めた、と言われます。基督教講義所を建てましたが、最初は「基督教に耳を傾ける者甚だ少なく」、語るメッセージが受け止められず、あまり人が集まらなかったようです。そこで押川と吉田は町内を一軒一軒巡って歩いて聖書を売りながら伝道をし、講義所にも少しずつ聴衆が集まるようになったと言います。しかし、押川夫妻は経済的困窮によるところもあり、健康を害し、特に方義は3ヶ月も床に伏さねばなりませんでした。その間、吉田が孤軍奮闘の働きをなし、押川方義が回復すると、1881年5月1日に、横山覚、伊藤悌三の二名が、押川から洗礼を授けられることとなりました。そしてこの日が、わたしたち仙台東一番丁教会の創立に記念日として覚えられ、今日の礼拝も献げられていることになります。 しかし、注目をしたいのは、この日から二週間も経たない5月13日に、押川の次女、克子が神のみもとに召されることとなった、ということです。苦労しながらも華々しく伝道が始まり、受洗者が与えられる教会としての大きな喜びの中で、我が娘を天に送る悲しみを味わわされたのでした。けれどもこれこそが、今にまで続く教会の営みなのだと思わされています。 使徒言行録第4章の、弟子たちの最初期の伝道も、きわめて似たところがあります。おそらく死をちらつかせる脅しに屈せずに、死を超える復活の主イエスの福音を、これからも語り続けて行く教会でありたいと願います。
瀬谷 寛 牧師