【2025年 10月 5日 主日礼拝説教より】
説教「裏切りに勝つ愛」 ホセア書 第11章 8節-11節 マタイによる福音書 第26章 14節-25節
今日のところには、主イエスが十字架につけられるために捕えられたのは、主イエスの弟子のユダが銀貨30枚で裏切って手引きしたからであることが描かれてます。これは奴隷一人の値にもならない金で売ったことを示しています。 ユダの物語を読むのは、実に重いことです。確かに十二人の弟子一人による裏切りであることを、福音書は繰り返して記しています。西洋の人たちが十三という数字を嫌うのは、主イエスの十字架の死の前日に催された最後の晩餐に集ったのが、主イエスと十二人の弟子、すなわち十三人だったことから来ています。この十三は、十二人プラス一人の裏切りを加えた数だ、ということを忘れることはできません。裏切りの死の匂いが漂っているのです。ただ、この十三はいつも、教会に刻まれています。わたしたちの教会が聖餐を祝い、聖餐のテーブルがある限り、この十三が刻まれています。わたしたちはそのテーブルを囲んでいます。 主イエスは、弟子たちと囲む過越の喜びの祝いの食事の席で躊躇なく、「あなたがたの一人が私を裏切ろうとしている」と言われました。しかしその時にだれも、誰がこの主イエスを敵に渡すのか、ユダを指さして「裏切るのはお前か」と犯人探しをしてはいません。皆、裏切りの心が自分の中にあることを気付かされて、「まさかわたしのことでは」と問い、やがて弟子たちは一人、また一人と裏切っていきます。この十三人は、十一人の弟子と、一人の裏切り者と、一人の主イエス、ではありません。別の意味で十二プラス一でした。十二人のユダと、一人の主イエスだったのです。 弟子のペトロがそうでした。彼は、主イエスから、「私につまずく」と言われた時、他の誰がつまずいても自分だけはあなたについていく、と豪語したのもつかの間、真っ先に「わたしはこの人を知らない」と言ってのけました。この先生について行ったら殺されるだけだ、と理由をつけて捨てたのです。わたしたちもいろいろな理由をつけて、主イエスを捨てる裏切り者です。 けれども主イエスは、「あなたがたは私につまずく。しかし復活の後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」。十字架で死に、復活した主イエスが、裏切る弟子たち、わたしたちを赦し、わたしたちを迎えてもう一度立たせてくださいます。
瀬谷 寛 牧師