【2024年 11月 3日 主日礼拝説教より】

説教「何度でも、赦しなさい」
      瀬谷 寛 牧師

       ネヘミヤ記 第9章 26節-31節

       マタイによる福音書 第18章 21節-35節


 

 ペトロが主イエスに質問をしました。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」。ここまで、主イエスは、罪を犯した者を、赦さなければならない、ということをお語りになっておられました。それを聞きながらペトロは、自分に対して罪を犯した者を、どこまで赦さなければならないか、と考え、率直に質問しました。

 主イエスの答えは、ペトロの思いを遥かに超えていました。「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」。計算すれば490回です。もしもこれが、具体的な回数のことを言っているのであれば、ある人が自分に犯した罪を1回、2回、と数えて、積もりに積もった恨みを490回まで耐えたそのあと、491回目には大変なことになるでしょう。恨みが爆発するからです。もちろん、主イエスはそのようなことを言おうとしているのではありません。

 そこで、主イエスはたとえを話されました。印象深い話です。

 ある王が、家来の一人に貸した一万タラントンの借金の決済をしようとしました。1万タラントンとは、6000億円という途方もない金額です。当然、この家来は返済できません。この家来はひれ伏して、「どうか待ってください。きっと全部お返しします」としきりに願いました。するとなんと王は憐れに思って彼を赦し、その借金を帳消しにしたというのです。問題はここからです。その後、この家来に100デナリオン、100万円ほどの借金をしている仲間に会うと、「借金を返せ」と言いました。その仲間は「どうか待ってくれ」しきりに頼みましたが、家来はそれを聞き入れず、仲間を牢に入れました。赦さなかったのです。

 王は神、一万タラントンの借金を帳消しにしてもらったのはわたしたち、100デナリオンの借金をしていたのがわたしたちに罪を犯した人です。主イエスは、あなたは一万タラントンの借金を帳消しにしていただいたのだから、100デナリオンの借金を帳消しにするのは当たり前ではないか、と教えてくださいました。わたしたちは、主イエスの十字架によって、途方もない罪の借金を帳消しにしていただきました。わたしたちは十字架の前に立ち、いつもそのことを思い起こしたい、そして、自分に罪を犯した人を何度でも赦す者とされたいと思います。




2024年1月7日からの説教要旨はこのリンクからご覧いただけます(クリック)。 

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