【2024年 4月 21日 主日礼拝説教より】

説教「安心しなさい、わたしだ」
      瀬谷 寛 牧師

       イザヤ書 第29章 13節-24節

       マタイによる福音書 第14章 22節-36節


 

 今日の礼拝後、2024年度第二次定期教会総会を神のみ前に開きます。当初、この礼拝を総会の開会礼拝と位置づけることまでは考えていませんでしたが、このとても豊かな、慰めに満ちた御言葉は、実にふさわしい御言葉だと思います。

 ここに描かれているのは、主イエスがガリラヤ湖の水の上を歩いて、漕ぎ悩んでいる弟子たちの舟の所まで来られた、という出来事です。聖書の中の、こういう非科学的な記事は、荒唐無稽な話であり真実から程遠いので受け入れがたい、と思うかもしれません。一所懸命合理的に、「ここでイエスは浅瀬を歩いていたのだ」、と説明しようとしたりします。しかし、この言葉から信仰を得、さらには伝道者・牧師となった人がいます。人の人生を変えうる豊かな御言葉です。

 ここで弟子たちは、小舟に乗ってガリラヤ湖へ漕ぎ出しています。しかし一晩中、逆風に悩まされ、漕ぎ悩んでいました。夜明け頃、主イエスが水の上を歩いて彼らの舟へと近づいてこられました。ここでは、主イエスが水の上を歩く、という手段が問題なのではありません。どんな方法であったとしても、主イエスが神の御子としてのみ力によって、共にいてくださるご自身を示し、苦しみ悩んでいる弟子たちに救いのみ手を差し伸べておられる、それが大切なことです。

 ところがその主イエスを見た弟子たちは「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声を上げました。人間の常識に捕らえられた自分の思いの中でしか主イエスを見ていないと、わたしたちも恐れ、叫び声を上げてしまいます。

 そのような弟子たち、わたしたちに主イエスは、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と語りかけてくださいます。この「わたしだ」は、「エゴー・エイミ」という言葉で、神がモーセにご自身の名前を示された、そのギリシア語の言葉です。つまり、主イエスはここで「わたしは神だ」と宣言しておられます。だから「恐れるな」と続くのです。どんなに逆風が行く手を阻もうとも、まことの神である主イエスが共にいてくださる、だから安心なのです。

 その後、ペトロが湖上の主イエスから「来なさい」と促され、主イエスを信じて水の上を歩きますが、風に気づくとペトロは怖くなり溺れかけました。が、主イエスはペトロの手を伸ばしてつかみます。わたしたちの手もつかんでいます。




2024年1月7日からの説教要旨はこのリンクからご覧いただけます(クリック)。 

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