【2023年 12月 31日 主日礼拝説教より】

説教「起きよ、光を放て」
      瀬谷 寛 牧師

       イザヤ書 第60章 1節-7節

       エフェソの信徒への手紙 第5章 6節-14節


 

 今年もクリスマスを迎えることができました。クリスマスの諸集会も、無事に守られました。待降節、そしてクリスマスを通り過ぎたわたしたちですが、依然として、主イエスがすでに来てくださったことと、終わりの日にもう一度来てくださる、その間を生きていることに変わりはありません。クリスマスを、通り過ぎるイベントの一つ、と考えず、常にこのめぐみに立ち返ることが大切です。

 イザヤ書を読み進めるようにして、クリスマスを過ごしました。イザヤ書は、全部で66章までありますが、第1~39章を第一イザヤ、第40~55章を第二イザヤ、第56~66章を第三イザヤと区分される、と多くの旧約学者たちがいいます。今日読む第60章は最も新しい時代、第三イザヤの言葉です。

 1節「起きよ、光を放て」。このイザヤの預言が告げられているのは、まだ起きておらず、光が見えていない状況であることが分かります。人々は悲しみ、嘆き、希望を失い、疲れ果てています。とても自分たちからは、光を放てない。「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる」。これが、イザヤの言葉を聴いた人々の現実でした。しかしその時に預言者イザヤは2節「あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」と告げます。自分たちは光を放てなくていい、けれども、主なる神の栄光の光を受け、その光に照らされ、包まれ、反射させて光を放て、と告げます。それが、やがて訪れるまことの救い主の到来によってもたらされる光です。神の民はそれから何百年もこの光を待ち続け、ついに、神の御子主イエス・キリストが救い主としてやって来ました。

 このイザヤの告げるキリスト預言は、光と闇とが対比されています。そのイメージが新約にも受け継がれています。主イエスは、「わたしは世の光」(ヨハネ8・12)とおっしゃり、さらに、わたしたちに「あなたがたは世の光」(マタイ5・14)とおっしゃいました。その間に何が起こったでしょう。エフェソ5・8「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。光の子として歩みなさい」。主イエスがクリスマスに光としてきてくださり、世の光として愛のわざをなし、愛の極みである十字架の死を通し、この世の罪の闇を光に変えてくださいました。この光にわたしたちは、結び合わされています。




2023年1月1日からの説教要旨はこのリンクからご覧いただけます(クリック)。 

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